エーガ愛好会 (152) スタンピード

(小泉) 原題名は「稀な品種」即ちセントルイスで行われる家畜売買会に英国からやって来た未亡人モーリン・オハラ(マーサ・エバンス、)とジュリエット・ミルズ(ヒラリー・プライス)の母娘が英国産の角のないアメリカでは人気のない品種の牛を競売に出品することから名付けられたが、地味なことからか邦名は、画中、牛の集団が悪役の銃弾により暴走する瞬間を捉えて題名としている。監督はアンドリュー・V・マクラグレンで当時ジョン・フォードの後継者ともいわれ本作から「チザム1970」「ビッグ・ケーヒル1973」に至り、古き良き時代の西部劇を見せてくれた。

主演ジェームス・スチュアート(サム・バーネット)が不器用ながら実直なカウボーイ、モーリン・オハラが男勝りの未亡人、ブライアンス・キース(アレキサンダー・ボウエン)が頑固一徹の牧場主に扮し繰り広げるドラマは、アクション、ユーモア、ラブロマンスが満載。フォード一家のベン・ジョンソンやハリー・ケリーjrをちょい役で出演させたりもして(フォード一家の)義理堅さも見せる。牧童頭のスチュアートがオハラとミルズの母娘と角のない牡牛をテキサスのキースが経営するボーウエン牧場に運ぶことになるのだが、途中牛の横取りを画策する悪人ジャック・イーラム(ディーリ・シモンズ)との確執やら牛のスタンピードや大自然の猛威等。邦名にしただけに、スタンピード場面は大迫力で馬車に突進してくるシーンは、まさかに人命が危険のように思われた。オハラに対するスチュアートとキースの恋の鞘当て、娘ミルズとキースの息子ドン・キャロウエイ(ジェミイ・ボウエン)との恋。連れてきた英国産牡牛は雪の中死体で発見されるが、それ以前のテキサスのロングホーンの牛との交配により子牛が誕生、品種改良による繁殖が成功したことからスチュアートとオハラも結ばれ
るのだった。
音楽が、あのジョン・ウイリアムス、昨今程の強烈なメロディではないものの心地よい気分にさせて呉れた。英国産牡牛が英国国歌が口笛で流れるとおとなしく動いて呉れたり、キースがオハラの気を引きたくて、スコットランドのバグパイプを弾く場面等洒落た趣向も多かった。

(安田)邦題の「スタンピード Stampede」は、動物の群れの暴走のこと。西部劇に現れるスタンピードは例外なく牛の暴走である。初めてスタンピードを知った映画はハワード・ホークス監督の不朽の傑作、ジョン・ウェイン主演の「赤い河」1948年制作。この映画の見どころを表現しているのでしょうが、原題は「THE RARE BREED」、つまり稀な品種ということで、この映画の主役(?)である牛を指しているようだ。時代は、明らかにはされないが、1870〜80年頃であろう。

アメリカには元々キャトル(牛)はおらず、入植してきたスペイン人が持ち込み、スペイン人が撤退後はメキシコ人がそれを継いでテキサスあたりで繁殖させた。19世紀半ば頃(アラモの戦いの頃)までには野生化した無数のテキサス・ロングホーン(Texas Long Horn)と呼ばれる牛を運搬する仕事はキャトル・ドライブと呼ばれ、テキサスからオクラホマを通るチザム・トレイル(Chiolm Trail)沿に、鉄道の通ったカンサス州まで行き、そこから鉄道でセントルイスやシカゴまで運び畜産取引市場で販売していた。牛を運ぶキャトルドライブの仕事をしていたのがカウボーイだった。牛肉の大消費地である東部の人々の胃袋を満たす需給関係と流通システムが成立していたのだ。「赤い河」はまさにこのキャトルドライブに携わるカウボーイ達を描いた映画

いちおう西部劇だが、派手な銃の撃ち合いなし、インディアンも騎兵隊も保安官も出て来ない、イギリスの母娘と牛が目立つ風変わりな映画。アイリッシュらしい気丈な女性役のモーリン・オハラ、闊達な娘役ジュリエット・ミルズ、牧場主役ブライアン・キース、57歳ながら殴り合い場面も頑張った老優ジェームス・スチュアート、皆それぞれに適役だった。それからもう一人、いや、一頭のヒーローは、新種の牛です。これが英国国歌の口笛で指示に従うという厄介な牛。スコットランドのバグパイプ演奏、こういう趣向がなかなか洒落ていた。気軽に観れた1時間40分だった。

(編集子)名画 ”駅馬車” の有名な主題曲は西部に古くから伝わったカウボーイ仲間の愛唱歌 Bury me not on the lone prairie である。良く覚えていないが原曲の歌詞に long-horned cow という一節があった。テキサスから延々と大西部を旅したのはこのテキサス牛だったのだ。

ジン・トニックがお好きなようですが   (会社時代友人 齋藤博)

(編集子)先日人間ドックへ行って、その結果万事問題なし、ただ体重のコントロールは必要で、アルコール制御といわれただけ、と自慢したら斎藤さんから警報が届いた。ご同様の環境の方も多いと思うので、私信ではあるがご承諾いただいてその一部を掲載する。トニック愛好者の小川先輩、斎藤警告にしたがってバーボンあたりに変更しますかね。

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検査項目中にHbA1cというのがあるのですが、これで1〜2ヶ月間の平均的な血糖の状況がわかります。ただし、体重が増えているということですので、HbA1cがいくら基準範囲内であっても、血糖の微妙な高値が続いているかどうかは、この値からはわかりません。高値が続いていると、体重増加し、認知症や脳卒中、パーキンソン病などを引き起こします。

トニックウォーターは問題ですね。砂糖水みたいなもんですから。100ml中、9gが糖質だそうです。ビールや、日本酒ガバガバ飲んで、呂律が回らくなっているのと、何ら変わらない状態になりえますね。

蒸留酒は、糖質を含みませんから、バーボンOK、ウイスキーOK、ブランデーもOKです。どういうわけか、ワインも辛口はOKです。糖質を含まないので、基本的には、体重増加とは無縁です。肝臓、膵臓は問題なさそうですが、糖質は他の臓器で色々な悪さをするので「色々な意味」で、控えないと苦しんで過ごす日々が待っているかもしれません(週刊文春的な情報ですが、元日本糖尿病学会の理事長も個人ではゆるく糖質制限実施していたそうですが、学会長としてはその事を言えずに、任期を全うしたそうですよ)。

 

エーガ愛好会 (151) ベニスに死す

(安田)映画の冒頭、主人公が船で干潟の間を縫って南東の方角からベニスに近づくと、運河の向こうにドゥカーレ宮殿、サン・マルコ広場の鐘楼、サン・ジョルジョ・マジョーレ聖堂、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、などの姿が次第大きくなり、まさに「ベニスを見てから死ね」の気分の高揚を覚えた。映画の舞台ともなったリド島(ヴェネチア映画祭の開催地としても知られる)にはそこのユースホステルに1週間滞在したこともあり、なおさらであった。リド島はベニスでは最大の島で、アドリア海の1番外海側に位置している。

イタリア映画界の巨匠、ルキノ・ヴィスコンティが、美少年への思いを募らせたドイツ人老作曲家の苦悩を格調高く描いた文芸ドラマ。作曲家グスタフ・マーラーをモデルに描かれたトーマス・マンの原作を基に映画化。少年へ恋焦がれるあまりに破滅へと向かう作曲家の生き様と、その美少年を演じたスウェーデン出身のビョルン・アンドレセンの美ぼうも話題になった。マーラーの音楽と共に描き出される芸術的で退廃的な世界観が見どころ。

1911年、イタリアのベニス。静養に訪れたその老作曲家は、宿泊先のホテルで見掛けたポーランドから来た少年タジオ(ビョルン・アンドレセン)に一目で心を奪われる。タジオへの思いが抑えられないだったが、折しもベニスではコレラがまん延し始め、彼は遂にはコレラに罹患してベニスに死す。

(船津)確かに船であのドゥカーレ宮殿、サン・マルコ広場の鐘楼、サン・ジョルジョ・マジョーが眼に入った時は「あぁ」と思いますね。
この映画は何度観ても分からん。「やはり美少年趣味」の耽美の世界を彷徨わないと———。其の後のベニスの貴族の館が凄いなぁとお身もって愉しみました。

(菅原)マーラーの番号付き交響曲は全部で10(ただし、10番は未完成)。その殆どが1時間以上と長い。しかも、二三の例外を除き、最後まで聴くのに大変な忍耐と我慢が必要だ。その例外は、1番、4番、それに、安田さんが言及された、5番第四楽章のアダージェットだ(その1/2/3/5楽章は、まるでつまらない)。このアダージェット、小生はアダージョみたいなもんだと思っているが(アダージョとは、「緩やかに」。アダージェットは「アダージョよりやや速く」と定義されているらしい)、アダージョの傑作は、これと並んで、ベートーヴェンの第九の第三楽章だ。第九は第四楽章の合唱が有名だが、小生、この第三楽章の方が好きだ。と言うわけで、興味のある方は、マーラーの第五番を聴いてみたら如何でしょうか。あっ、ヴェネツィアで食ったカルボナーラは絶品、これはマーラー以上だった。

(保屋野)正直、私の(普通人)の「鑑賞眼」には少々ハードルが高い映画でした。この手の映画は、面白いはずはないのですが、いくつかの見応え場面はありました。第一に、何といっても、あの究極の美少年、この世の人間とは思えません。彼の存在だけでこの映画は価値があると思います。私は、彼を見て、何故か「ラファエロ」を想起しました。彼の自画像だったか、彼が描いた「天使」だったか・・・

さて、音楽ですが・・・まず、「メリー・ウイドウ・ワルツ」(レハール)が流れてましたね。(私は「金と銀」だと勘違いしましたが)次に「エリーゼのために」が弾かれてました。ただ、マーラーは良く知らないので、もう一度音楽だけを聴いてみます。最後に、やはりベニスの風景ですね。リド島へは行ったことがありませんが、サンマルコ広場で演奏を聴きながら飲んだ「エスプレッソ」最高の(美味しい)思い出です。

(飯田)何回見ても難解な映画だなーとダジャレでも言いたいところですが、多分2回目です。強いて言えば、少し見るべきところは屋内の広間やレストランシーンのバランスよい多色の色彩感覚がヴィッスコンティ映画では「山猫」でも延々と続く舞踏会シーンでも感じられたこと。意味不明ともとれるロングのパン撮りの撮影シーンが度々出て来て考えさせられるが考えても何も思いつかない愚かな自分を感じること。

同じように分かりにくいイタリア人監督の フェデリーコ・フェリーニの「8-1/2」も似たようなロングパン撮りが沢山あったが、こちらは宗教的な意味合いを感じさせたように思う。淀川長治氏の評価を添付しておきます。彼は最後に“眞に凄い大美術品映画。ヴィスコンティの大名作です”と宣まっていますが、果たしてどこまで理解しているのかと思います。

 

されど我らが日々

ミサ、こと横山美佐子が不帰の客となった後しばらくして、夫君のヨコさんこと隆雄先輩から、(ミサが書いたものなどだが自分で整理すべきではない、処理を頼む)と送られてきた小包みがあった。かなりの分量のものだった。僕はヨコさんのメモを詳しく読まず、これだけ多くのものを書いていたのか、と長い付き合いだったが改めて彼女のことどもが蘇り、今日までひも解く勇気がなかった。今朝、思い切って開封してみたら、現役時代に作られたいくつかのワンデルング文集だった。

ロマンチスト金井先輩の主宰された清津峡めぐり。KWV史上初の積雪期Wとなった北沢BC,Lは今なお月一高尾の常連である平松さん。”KWVは山だけじゃなく、もっとロマンチックな ”旅” をしようと試みた、L田中新弥 小海線沿線ワンデルング。硬派の代表だった寺田捨巳が意外な面を発揮したスケッチワンデルング。それとこれは小生がやはり言い出しっぺだったのだが、詩文集の形でこころみて、企画に賛成した故細田佳嗣が装丁、命名した ”へのへのもへじ”。

参加者寄稿者の中にはすでに鬼籍にある仲間もいる。半世紀前、僕らはどんな気持ちでいたのだろうか。われら青春の日々、という気がする。今回いわば”発掘”された(なぜこれらがミサの手元にあったのかは永久にわからないが、いいではないか、それも歴史のもつロマンなのだし)4冊は、本日,各リーダーあて送らせていただく。参加した覚えのある向きは各リーダーにご連絡いただければと思う。

ヨコさん、ありがとうございました。

 

 

 

エーガ愛好会(150)  ペンタゴンペーパーズ   (44 安田耕太郎)

映画の原題 「The Post」はアメリカジャーナリズムの代表の一つワシントン・ポスト紙を意味する。WaPo と省略することもある。’70年代初め、ニクソン政権を揺るがした2つの事件の一つを描いた映画。もう一つは1年後に発生したウォーターゲート事件であり、ニクソン大統領辞任の原因となった。共にワシントン・ポスト紙が深く関わっている。監督は民主党支持のスティーヴン・スピルバーグ。

映画の時代はJFKと後継のジョンソン大統領によってベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国民の反戦や戦争に対する疑問の機運が高まっていたニクソン大統領政権下の1971年。ベトナム戦争を分析及び報告した国防総省(Pentagon)の最高機密文書(ペンタゴン・ペーパーズ)がニューヨーク・タイムズによってすっぱ抜かれる。当時の国防長官ロバート・マクナマラの指示でその作成に関わった軍事アナリストは、彼の勤務先のシンクタンク、ランド研究所から持ち出しコピー機で複写、それをニューヨーク・タイムズに渡し、ニューヨーク・タイムズが機密文書の存在をスクープする。だが、政府の機密文書をスクープしたことで、タイムズ紙は政府から記事の差し止めを要請される。機密文書には戦争の先行きは勝機が薄いことが説明され、戦争継続は敗戦の汚名を着せられたくない現政権の意向が強く反映されていたのだった。これが公開されれば、息子や夫を戦場に送っている市民の反感のみならず世論の反戦機運はより高まるのは必至であった。従って、権力側は機密文書は隠蔽し続けておきたかったのだ。

一方、ニューヨーク・タイムズ紙のライバルであるワシントン・ポスト紙の発行人(社主)のキャサリン・グラハム(メリル・ストリーム演じる)と部下で編集主幹のベン・ブラッドリー (トム・ハンクス演じる) は、極秘のルートで機密文書の入手を試みる。記事掲載を役員と法律顧問から反対され、記者達は彼らと舌戦を繰り広げる。文書を記事にすると自社を潰すことになるのではと危惧し、選択に苦悩するキャサリンは友人のマクナマラ国防長官にアドバイスを求め、その夜、電話でベン達から決断を迫られる。タイムズ紙のスクープの差し止め命令が下されればポスト紙での掲載もできないとキャサリンはベンに警告する。だが、これをチャンスと見たベンは、彼女の注意をよそに文書の入手を部下に命じる。ニューヨーク・タイムズの前例もあり、スクープ記事として新聞に掲載するか否かポスト紙社内でも幹部間で甲論乙駁の激論が交わされた。悩んだ挙句、彼女は記事の掲載を決断する。そしてニューヨーク・タイムズと時に争いながらも連携し、「戦争中における政府の機密漏洩」という事態そのものを問題視し、記事を差し止めようとする政府と裁判を通じて戦う決意を固める。ポスト紙の記事が掲載されると国内の他紙の多くが追随するに至り、キャサリン、ベンは喜びの感慨に浸る。

残された関門は、裁判における判決であった。ポスト紙社内で固唾をのんで社員が見守る裁判所における陪審員の評決は6対3でポスト紙の無罪であった。続いて、判事の読み上げられる判決文を社員の一人が電話で受け、声を上げて仲間の社員に伝える。「建国の父たちは報道の自由に保護を与えた。民主主義における基本的役割を果たすためだ。報道が仕えるべきは国民だ。統治者ではない。」(The founding fathers gave a free press. Protection we must have to fulfill the essential role of our democracy. Press was served govern, not governed.) 。

 

 

 

(船津)スピルバーグは当時のワシントンポスト社を再現するために!当時の事務機器とか印刷機械を取りそろえて、しかもデジタルカメラでは無くコダックのフィルムで撮影するという凝りようです。
あのコピーするゼロックスの機械を探すのに苦労したようです!確かにその昔会社で見た最先端のコピー機・ゼロックスでしたね。
(船津提供)

そして当時は未だ鉛を溶かして、組み版して紙版を作り鉛を流して、輪転機にかけて印刷したのでした。我々も全く同じ方法でやったことを懐かしく見て居ました。日本語の活字を職人さんが目にも留まらぬ早さで拾って当時の新聞は一段が15字でしたので15本揃えては次へ行くという工程でした。そしてゲラ刷りが出来て赤ペンで校正して、組み版する。輪転機が廻るまで可成りの時間がいる。

そんなインク臭い印刷所に籠もり記事を書き直したのいろいろしたことを思い出します。女性が真っ白の夏のワンピースを着て校正していたらインクがこぼれワンピースが台無しになってしまったこととか。徹夜して借りたトラックで出来上がったインク臭い新聞を三田の山と日吉まで運んだりもしました。
(船津提供)

 

エーガ愛好会 (149) リオ・ロボ    (34 小泉幾多郎)

昔懐かしの西部劇の味わい、勧善懲悪で安心して楽しめた。ハワード・ホークス監督ジョン・ウエイン主演で、グループを構成して戦う三部作「リオ・ブラボー1959」「エル・ドラド1966」「リオ・ロボ1970」の最終作で、ホークス生涯最後の作品ともなった。三作とも苦悩するヒーローの悲愴な心理的描写はなく、肉体的なアクションが純粋に捉えられている。

冒頭から素晴らしい出足。 イントロのギターの大写しによる演奏から始まる。音楽は、ジェリー・ゴールドスミス。出だしの少し暗くて物悲しい雰囲気の曲が全編を覆う。珍しく北軍の制服を纏ったコード・マクナリー大佐に扮したジョン・ウエインが現われ、南北戦争のエピソードをプロローグとする。北軍が列車で運ぶ金塊を南軍が奪うのだが、その南軍で強い役割を演ずるのが、ホルヘ・リベロ(ピエール・コルドナ)とクリストファー・ミッチャム(タスカロラ)。金塊の奪い方が、線路にグリースを塗ったり、列車を止めるために樹木に網を張ったり、車内にスズメバチの巣を投げ込んだりの工夫が為され、大いなる見せ場が作られる。直後終戦になり、ウエインは北軍の中に情報をリークした者がいて、金塊はもとより、親しかった直接の部下を死に至らしめたことから、敵討ちを心に決めていた。終戦は北と南という政治的な対立を超えて個人対個人の友情に結ばれ、南軍だったリベロとミッチャム、そのミッチャムの祖父フィリップたるジャック・イーラムを味方につける。偶然にもリオ・ロボの町の黒幕の中に裏切り者がいることが判り、その町を牛耳るボスや保安官たちと対立することになる。今回は三人の美女が出演、どうにも見分けがつかないが、結局はリベロを愛するようになるジェニファー・オニール(シャスタ・デラニー)、ミッチャムの恋人スサンナ・ドサマンテス(マリア・カルメン)、保安官に恋人を殺され、自身も顔を傷つけられ、その復讐に保安官を銃で撃ってしまうジュリー・ランシング(アメリータ)。物語の最後は、ボスのヴィクター・フレンチ(ケッチャム)を人質にとることに成功し、悪徳一味は滅び。めでたしめでたしで終演。

ジョン・ウエイン出演当時63歳。老いたるヒーローについて一言。リオ・ロボに向かう途中、ウエインと若者リベロと若い娘ジェニファーと野宿。ウエインは若い二人にに気を利かせて、先に寝てしまうが、朝起きるとジェニファーが自分の毛布の中にいるのを発見するとジェニファー曰く「あなたならお歳だから安心よ」に、ウエイン大いにくさる。最後の最後、ジュリー・ランシングとウエインが一緒になったとき、ジュリーが「あなたって…」ウエイン咄嗟に「安心するはやめてくれ!」女性の相手は異なるがオチになっていて、シリアスな問題をユーモラスに語っている。

(編集子)小泉さんのお気に入りらしいホークスの作品はウイキによれば下記の通りである。

ウエイン後半期の三部作は確かに代表作、たとえば 赤い河 や 捜索者 やもちろん 駅馬車 なんかに比べると、小泉さんご指摘のようにウエイン本人が楽しんでいる雰囲気があって、全体のトーンが同じような気がする。主題歌がいいのも共通。ホークス作品ではないが、小生としては エルダー兄弟 も同じような感じがして好もしく思っている。このトーンは ラストシューティスト では一転してしまう。ウエイン西部劇、というなかでこの作品があまり衆目を集めないのは誰もがウエインの遺作であることを意識してしまうからだろう。そういう意味ではこのホークス三部作は完全な娯楽映画として楽しむものなのだと小泉説に同調。

 

”ペンタゴン・ペーパーズ” を見て     (普通部OB 舩津於菟彦)

普通部時代から新聞作りをして大学では新聞研究所を一応卒業して、マスコミの端くれになり損なった者としては「報道の自由」を嫌と言うほど学んできた。
この映画も日本上映の日に真っ先に見に行き感激した。新聞記者は真実を報道するためにはいかなる手段を講じても民主主義・人権・人の生きる権利のために報道すべきだと。記者の後ろには万人の読者がいるのであり、正確に、真実を報道すべきである。
「報道の自由」で日本で一番問題になって残念な判決になったのは毎日新聞の辣腕記者「西山問題」であろう。
西山事件(にしやまじけん)は、1971年の沖縄返還協定にからみ、取材上知り得た機密情報を国会議員に漏洩した毎日新聞社政治部の西山太吉記者らが国家公務員法違反で有罪となった事件。別名、沖縄密約事件、外務省機密漏洩事件。
第3次佐藤内閣当時、リチャード・ニクソンアメリカ合衆国大統領との沖縄返還協定に際し、公式発表では地権者に対する土地原状回復費400万米ドルをアメリカ合衆国連邦政府が支払うことになっていたが、実際には日本国政府が肩代わりしてアメリカ合衆国に支払うという密約をしているとの情報を掴み、毎日新聞社政治部記者の西山太吉が、日本社会党議員に情報を漏洩した。
最高裁は「原判示対米請求権問題の財源については、日米双方の交渉担当者において、円滑な交渉妥結をはかるため、それぞれの対内関係の考慮上秘匿することを必要としたもののようであるが、憲法秩序に抵触するとまでいえるような違法秘密といわれるべきものではなく、実質的に秘密として保護するに値するもの」「当初から秘密文書を入手するための手段として利用する意図で女性の公務員と肉体関係を持ち、同女が右関係のため被告人の依頼を拒み難い心理状態に陥つたことに乗じて秘密文書を持ち出させたなど取材対象者の人格を著しく蹂躪した本件取材行為は、正当な取材活動の範囲を逸脱するものである」「報道機関といえども、取材に関し他人の権利・自由を不当に侵害することのできる特権を有するものでない」と判示し、秘密の正当性及び西山の取材活動について違法性と報道の自由が無制限ではないことを認めた。
「情に通じて」と残念な判決で。日本の報道の自由の権利を一部失ってしまった。この時取材源などを漏らし、かつ社会党代議士に出所が分かるそのままの書類を渡すという記者としてあるまじき行動もあったが、残念な判決だった。

沖縄問題についての基礎知識

船津於菟彦君が学生時代所属していた新聞研究所OBの会合で聞いたレクチュアについて知らせてくれた。その一部を現在話題になっているものの、もう一つ、知らないことの多い沖縄についての基礎知識として紹介する。

① 1429年中山王尚巴志(ちゅうざんおうしょうはし)は北山、中山、南山の三つの王国を統一し、首里(現在の那覇市)に首里城を築いて琉球王国を作った。16世紀後半から豊臣秀吉や徳川幕府は琉球王国に対して支配下に入るよう圧力をかけていたが、明との関係を重視して歴代の王はこれに対してはっきりとした態度をとらなかった。

②1609年、第7代の尚寧王(しょうねいおう)のとき幕府の許可を得た薩摩藩は3000の兵力によって琉球を制服し、首里に在番奉行所をおいて琉球の内政と外交を監視した。薩摩藩は明貿易の管理権をにぎり、年貢を薩摩藩に上納することを義務付けた。これによって琉球王国は薩摩藩主の島津氏属国として支配権をにぎられ、幕府体制に組み込まれた。1872年明治政府は琉球藩を設置し、19代目の尚泰王を琉球藩王に任命して琉球が日本の領土であることを内外にしめそうとした。

③琉球が清との関係を続けようとしたため1879年に、明治政府は軍隊や警官を送り廃藩置県を強行して琉球藩を廃し沖縄県を設置した。

④1609年に薩摩藩が沖縄北部の運天港に上陸し、今帰仁城を落城させると、一気に琉球に侵攻し首里城を占拠。江戸幕府の徳川家康から琉球の支配権を与えられた島津の統治下に入ることとなった。事実上、幕府に組み込まれた琉球は、江戸へ使節を送ることが慣例となり、これを「江戸上り」といい、琉球装束を身にまとうことで、独立国としての対面を保っていた。

⑤明治5年(1872)に琉球王国から琉球藩となったが、王府は、琉球の管轄が薩摩藩から明治政府に変わっただけで体制に影響がないと見ていたが、明治政府は中国(清)との冊封、進貢関係を絶たせ、強硬に藩政から県政へと推し進めようとしていた。王府は琉球存続の嘆願を繰り返したが、琉球処分官により、政府命令を通達。明治12年(1879)に廃藩置県を断行。

⑥日本政府が、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦へと突き進む中、沖縄も戦争に巻き込まれていく。第一次世界大戦終結後に起きた戦後恐慌では、沖縄では「ソテツ地獄」と称され、命を落とす危険さえあるソテツの実や幹を食べて飢えをしのぐほどの悲惨な状況だった。

⑦そして、太平洋戦争。太平洋戦争が終わりをむかえようとする、1945(昭和20)年3月、アメリカ軍が沖縄に上陸しました。はげしい戦いが行われ、沖縄に住んでいた人々約10万人をふくむ、たくさんの人たちが亡くなりました。これが「沖縄戦」です。沖縄島全体が焦土化して、日本本土の捨て石的な状態に置かれた。

⑧戦争が終わると、1972(昭和47)年5月15日に日本へ復帰(ふっき)するまで、沖縄はアメリカの統治(とうち)が27年間続きました。その間に米軍基地(べいぐんきち)が建設され、今もなお存在しています。占領状態が続き通過も日本円では無くB券というドル建て。日本本土は占領政策は免れたが沖縄は「占領」状態が続く。言語こそ英語には成らなかったが総て米国統治。

⑨明治時代になると、450年間続いた琉球王国はなくなり、琉球は沖縄県となりそして太平洋戦争。占領。やっと1972(昭和47)年5月15日に日本へ復帰。しかし、経済は米軍基地に頼る状態で、産業も無く今後どの様にしていくか課題は大きい。

フレイルとサルコペニア     (普通部OB  篠原幸人)

先日、大学全学部同期生のゴルフコンペに参加してきました。茨城県牛久の近くにある金乃台ゴルフクラブというところです。毎年行われていたこの大会もコロナ騒動でここ2-3年はお休み。久しぶりに大会を献身的な有志幹事が開いてくれましたが、毎年100名以上いた参加者も今回は20名一寸。まあしょうがないやね。何しろ最も若くても83歳だもんね。

スコアー(打数)が自分で数えられず始めからキャディーさんに自分の打数を数えてくれと頼んでいるもの、一番ホールからもう腰が痛い・足が痛いと騒いでいるもの、朝からドライバーを忘れてきたと大騒ぎするもの、打順が分からず適当に打とうとするものなど、スタートからしっちゃかめっちゃか。医者は小生だけだったから、何かあったらと多少責任を感じつつスタート。まあ何とか救急車も呼ばずに終了できたのが不思議なくらい。私は第一組で、後ろから来るのが仲間たちだからよかったけれど、普通だったら「進行が遅れています。急いでください」とどやされていた筈。

最後の簡単な表彰式にも会場が分からない迷子が出る始末で、皆さん久しぶりに会えてよかった来年また会おうと喜んでおられたが、私は死者が出なくて良かったとホッとしただけ。来年はどうなるんでしょうね。全員が揃って、84歳以上になるんですよ。共通して言えることは、多分私も含めて、打った後の歩く速度が遅くなったこと、それと何しろ動作が鈍い。ラウンドしているうち、仲間全員が患者さんに見えてきた。実際の患者さんも何人もいたけれど。

最近、「フレイル」とか「サルコペニア」という言葉をよく聞くでしょう。「フレイル」とは高齢化と共に生じる、

  • 歩行速度の低下(身体活動性の低下)
  • 筋肉・筋肉量の低下(これがサルコぺニアです)
  • 動作緩慢
  • 持久力の低下
  • 意図しない体重減少   などを合わせて指す言葉です。

皆さん、街を歩いていて、若者にどんどん追い越されて悔しい想いをした経験はありませんか? 病気でもなく、よく食べるのに体重が減少? 奥さんや子供に「パパ、遅いんだから」とよく怒られる?  これらがフレイルの始まりです。

しかし、フレイルやそれに伴う筋肉量の減少は年齢と共に誰にでも起こるものです。ましてこのコロナ禍で、外出もままならない状態ではさらにこれが増長します。しかし、これを治す飲み薬はありません。 血圧・体温の測定も結構ですが、毎日あるいは週に3-4回は散歩や何らかの自分なりの仕事・運動・トレーニングをやって下さい。

ボーッとテレビだけ見て何となく1日が過ぎてしまうのはやめましょう。杖をつきながらでも、体を動かすことは是非つづけてください。それが心肺機能にも、脳にも、胃や大腸にもいい影響を与えるのです。

と言っても、今更ジムやスポーツクラブに通うのも大変だけどな~。

(編集子)篠原兄、相変わらず医療前線でのご活躍、敬意を表します。小生自宅から3分の距離に24時間営業のジムが開業、恐る恐る通い始めたところ。面白いもので教室にはいかないがザックを背負って過ごした4年間の実績?か、ほかはだめでも背筋だけはこの年にしては元気なようです。36ゴルフもそろそろ先が見えてきたようですかな。

エーガ愛好会  (148)  大河への道

久しぶりに ”エーガ館” で見た。どういうわけかわからないが、自分ではこの次のNHK大河ドラマが伊能忠敬のものだと信じ込んでいて、なんでこんなエーガが出来るのか不思議に思っていた。 年寄りの思い込みとはこういうことなんだろうな。

さて作品の原案が現役の落語家によってつくられた、ということで納得したのだが、非常にエスプリというのか、しゃれた仕上がりだと納得した。しかるにどーしてもこれが見たい!と主張した我がパートナーは全く盛り上がらず。こういう事を云うと叱られるだろうが、どうも女性は史実とか歴史というものがそれ自体がもつロマンを介さないようだ。

作品はミステリ仕立てに近いのだが、この話のからくりは伊能が死んだとされる日と、その生涯の結実であるはずの日本全国地図が完成したと記録されている日のあいだに2年のずれがある、という事だ。作品の筋としては、脚本を依頼された著名な脚本家が、こんなわけのわからない史実がある以上、ドラマにはできない、と頑迷に主張し、結果、この2年の間に何があったのか、を解明することになる。冒頭に現れる伊能(という事があとでわかる)の死の場面の意味が、瞬時に切り替わる現代での出来事に置き換わっていく、そのテンポがいい。また現代での出来事の主人公二人(中井と松山)が仮想の場面での主役になるという振り付けも作者(志の輔)のテレビでの印象を思い出し、にやりとしてしまった。しかし測量隊の現場の再現はどこまで史実の検証がされていたのかは知らないが、わらじ掛けでの歩測などは(そうだっただんだろうなあ)と思わせて現実味があった。

この地図を当時の我が国の技術レベルを考え、また映画で再現される測量の現場などを見ると、その苦労のほどがどれほどのものであったのか、想像を絶するも

のだと思う。またこの時代に三角関数というものが知られていたし、伊能がこの事業に取り組むきっかけが子午線についての実証実験だった、という事もオドロキだった。

測量隊が履いていたわらじを再現