エーガ愛好会 (173) パリは燃えているか #2 (普通部OB 舩津於菟彦)

『パリは燃えているか』(パリはもえているか、仏: Paris brûle-t-il?、英: Is Paris Burning?)は、1966年のアメリカ・フランス合作のオールスターキャストによる戦争映画。ラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエールによるレジスタンス(共産主義者とドゴール派)と自由フランス軍によるパリの解放を描いたノンフィクション作品の原作をルネ・クレマンが監督した。脚本はゴア・ヴィダルとフランシス・フォード・コッポラが担当している。
ジョージ・パットン将軍

1944年8月7日から、8月19日のレジスタンスの蜂起開始、アメリカ軍の援護を受けて、8月25日のフランスの首都パリの解放に至るまでを描く。
物語はドイツ軍の降伏に貢献したレジスタンス運動を中心にしている。主な登場人物は、レジスタンスのアンリ・ロル=タンギー大佐やジャック・シャバン・デルマス大佐、ドイツ軍のディートリヒ・フォン・コルティッツ将軍、アメリカ軍のジョージ・パットン将軍、自由フランス軍のフィリップ・ルクレール将軍などである。映画の終盤、降伏前にパリを破壊しろというアドルフ・ヒトラー総統の命令が下ったが、

コルティッツ将軍

最終的にコルティッツ将軍は命令に従わずに連合国に無条件降伏し、パリを破壊から守った。パリ側のドイツ軍本部内でうち捨てられた電話機からヒトラーの「パリは燃えているか?(命令通りに破壊したか?)」との声が聞こえていた。

時は1940年6月22日、フランスは戦うこと無くして無血で独逸軍は巴里を占領されフランスは降伏した。
フランス軍の敗北は、具体的に言うと、ドイツ軍の機動戦車部隊の急襲と急降下爆撃機による空爆に対してフランス軍は第一次大戦と同じ塹壕戦による防衛という古い戦術しかとらなかったところに原因があった。またマルク=ブロックは、司令官の無能や、参謀と部隊指揮官の対立(軍隊官僚制の欠陥)、部隊間の情報連絡の不備(ドイツ軍はオートバイを活用したが、フランス軍にはなかった)、装備の不備、動員の混乱、イギリス軍への不信などを告発しているとマルク=ブロック「奇妙な敗北」で書いている。
北部をドイツ軍に占領され、ドイツに協力するヴィシー政府が成立。それに対するレジスタンスが開始され、ド=ゴールはロンドンから抵抗を呼びかけた。4年間に渡り独逸に支配された巴里はロンドンに亡命したド=ゴール将軍がドイツに対する交戦を宣言、自由フランスを組織した。親ドイツ政権のヴィシー政府に対するレジスタンス(抵抗運動)は激しくなっていったものの、当初はバラバラであったが、次第に国内ではフランス共産党が組織化した運動が主力となり、ド=ゴールの自由フランスは国外からの活動が主であったが、自由フランスがアメリカ・イギリスと共にアフリカに上陸してドイツ軍に勝利を収めるなど、力をつけていった。国内と海外でのレジスタンスに統合の動きが生まれ、1944年6月2日にはド=ゴールを首班とする共和国臨時政府が成立し、6月6日に連合軍がノルマンディーに上陸、8月25日にパリが解放された。そんな時のことをドキュメンターリーフィルムを交えてモノクロで長時間映画で米国・フランスの沢山の俳優がちょい役を含めて登場する!それだけでもなかなか面白い。
映画の終盤、降伏前にパリを破壊しろというアドルフ・ヒトラー総統の命令が下ったが、最終的にコルティッツ将軍は命令に従わずに連合国に無条件降伏し、パリを破壊から守った。パリ側のドイツ軍本部内でうち捨てられた電話機からヒトラーの「パリは燃えているか?(命令通りに破壊したか?)」との声が聞こえていた。
映画の制作は当時、公的機関(パリ警視庁と内務省)の両方から多数の承認が必要となった。また、シャルル・ド・ゴールによって厳しい監修が行われ、ド・ゴールは手紙に書いた規則に従うことを条件にパリでのロケ撮影を許可したという。特にド・ゴールはフランス共産党による解放で果たした活躍の描写を最小限に抑えることを切望しており、脚本のフランシス・フォード・コッポラは後に「露骨な政治的検閲だった」と発言している。その他、制作はフランス共産党とフランス労働総同盟の二重の支配があり、ド・ゴールまたは共産主義者のいずれかを怒らせるリスクなしに原作本のすべての要素を使用することができなかったとゴア・ヴィダルは感じたという。
(編集子)第二次大戦が我が国を現在の(いろいろ細かいことで問題はあるものの)平和国家、経済大国へ変貌させたのは歴史的事実であるが、戦争中での我が国そのものを題材にした映画は(戦中に作られた戦意高揚映画は別にして)戦争を背景にしたドラマは思い浮かぶが、史実を伝える(記録映画でないから、当然ドラマタイズされているとしても)映画は “トラトラトラ” 以外、あまり数は多くないのではないか。やはり ”敗戦”という事実が影響しているだろうことは想像に難くない。
これに対して欧州戦線の話はかなりの数を見てきた。小生の日本史の知識の多くが司馬遼太郎の小説に負うところが多いように、欧州戦線での第二次大戦の経過に関する知識の大半は映画によるところが大である。日米戦線を理解するのに役立った ”トラトラトラ” にあたる、欧州戦線を理解するベースラインになっているのが ”史上最大の大戦” と ”遠すぎた橋” の2本で、この2本に書かれた史実を詳述している ”バルジ大作戦”・”レマゲン鉄橋”・”炎の戦線エルアラメイン”・”空軍大戦略” をあわせた6本の映画で大体の流れが理解できた。この流れを背景とした作品は枚挙に限りないが、古くはボギーの佳作 ”サハラ戦車隊” から始まって、”パットン大戦車隊”、娯楽作品として小生のお気に入り ”狐たちの夜”・”鷲は舞い降りた” の2本、さらには “眼下の敵”・”深く静かに潜航せよ”・”駆潜艇K225” など、フィクション要素の高いものなら ”633爆撃隊”・”ナヴァロンの要塞”・”ナヴァロンの嵐”。一ひねりしたシリアスドラマとして ”ノルマンディ”(”史上最大の作戦”を実行したアイゼンハワーの秘話的な作品)なんかを思い出す。”パリは燃えているか” は史実中心のものでその意味では重要な作品だろう。