エーガ愛好会 (169)我が命つきるとも    (44 安田耕太郎)

映画「スティング」にマフィアのボス役で出演したロバート・ショウを久し振りに観て、彼が16世紀のイギリス国王ヘンリー8世役を演じたイギリス映画「わが命つきるまで」(1966年制作 原題:A man for all seasons)を続けて一挙に観てしまった。ヘンリー8世にまつわる史実をテーマとして描く歴史映画で、特に目新しい話の展開はないが、重厚な歴史物語を楽しんだ。この国王は、イギリスでは歴史上もっとも有名な人物の一人だ。

1528年、イングランド国王ヘンリー8世は宮廷の女官アン・ブーリンに恋をし、一向に世継ぎを生まない王妃キャサリンとの離婚を望み、ブーリンと結婚することを切望していた。王妃キャサリンはスペイン初代女王イザベラ1世とアラゴン国王フェルナンド2世の娘で、ヘンリー8世の実兄で次の国王を約束されたアーサー王太子と政略結婚した。だが結婚の翌年、兄は病で急逝する。弟の世継ぎとなったヘンリーは義姉であった未亡人と結婚する(ヘンリー18歳、キャサリン24歳)。ヘンリーはチューダー王朝の存続を切望するが、結婚後9年経っても世継ぎの息子を産まない王妃に業を煮やした。当時はカトリックが国教であり、離婚は許されずローマ法王の許しが必要であった。

映画の主人公はヘンリー8世ではなく、反逆罪でヘンリー8世から斬首の刑に処せられたトーマス・モア(Thomas More)。政治・社会を風刺した「ユートピア」の著述で今日にまで知られる、イングランドの法律家・思想家・人文学者。彼の深い教養と厚い信仰心によってイギリスはもとよりヨーロッパの人々から尊敬と信頼をかち得ていた。王の再婚を法王に弁護できるのは寵臣の中でただ一人、信仰心篤く人望のあるトーマス・モアだけだった。何とか法王に離婚の承諾をもらえるようにモアに頼み込むが、モアは、国王が離婚する理由が見出せないとしてそれを拒否。モアの度重なる法王説得依頼拒絶は、国王の取り巻き達の怒りを買ってしまう。高潔・孤高なモアは意に介さなかったが、彼の家族や友人は彼の一徹さ故に彼の政治的な立場を危惧した。宗教界の実力者ウルジー枢機卿・大法官(オーソン・ウエルズ演じる)は秘書官クロムウエルを介してモアの説得に当たるが徒労に帰す。

いかにも中世イギリスの歴史物語とあって、舞台・衣装・セリフは重厚荘重で映画というより古典舞台劇を観るかのようであった。主役モア役を演じたポール・スコフィールドは1966 年度のアカデミー主演男優賞を、映画は作品賞を、演出のフレッド・ジンネマンが監督賞をそれぞれ受賞した。それぞれが賞に相応しい出来栄えであった。出演者は他にもヘンリー8世の腹心ウルジー枢機卿を演じたオーソン・ウエルズ、モアの妻役ウェンディ・ヒラ―、娘役のスザンナ・ヨーク、アン・ブーリンを演じたバネッサ・レッドグレイヴなど名優が脇を固めていた。

ウルジー枢機卿が病で死去した後、モアは官僚の最高位である大法官(Lord Chancellor)に任命される。そんな中、ヘンリー8世自らがモアの屋敷を訪れ、直接ローマ法王に離婚を許可するよう働きかけることを依頼する。最後通牒にも等しい国王の直談判であった。モアはこれも拒絶したため、国王は激怒して帰ってしまう。離婚を認めないローマ法王に業を煮やしたヘンリー8世は、ついに新たにイングランド国教会を設立して自ら首長に就任し、強引にキャサリンとの離婚及びアン・ブーリンとの結婚を執り行う。

原題「A Man for All seasons」、トーマス・モアを当時の人が彼をそう呼んだという。「確固たる信念を持つとともに、多才で、どんな状況にも対応できる、頼りになる人」というような意味らしい。モアは自らの信念に従い大法官を辞任し、国教会やブーリンとの結婚を、国王の執拗な脅しに屈せず、認めなかった。トーマス・モアは権力に屈せず自らの信念を貫き通し、救いの手が妥協と譲歩を交換条件として差し延べられるが、それらを一切断り、ロンドン塔に投獄されたのち、断頭台の露と消えていった。ヘンリー8世がアン・ブーリンと結婚してから2年後の1535年のことであった。

(小田)この映画、観たことがあります。やはり、アン·ブーリンが登場する「ブーリン家の姉妹」と同様に、ヘンリー8世の来訪から話が始まり、最後は主人公が処刑されて終わったように思います(こういうお話は後味が良くないので映画で観るより、本で読む方が好きですが)。ヘンリー8世は、6人の王妃中、2人を処刑していますが、他の王妃達もそれぞれに大変な運命に会っています

 ヘンリー8世の1番目の王妃キャサリン オブ アラゴンはヘンリー8世の兄(アーサー)とスペインの国力をつける為、1489年にアーサー4歳、キャサリン3歳で婚約条約に調印、10年後、14歳と13才の時、代理人により結婚式が行われ、501年ロンドン、セントポール大聖堂で正式に結婚式を挙げますが、アーサーは5ヶ月もしないうちに、感冒で亡くなります。

1503年 それでは…と弟のヘンリーとの婚約式が行われますが、1505年に婚約破棄(この時も生活に困窮)…などを経て、1509年二人は結婚します。暫くは円満だったようですが、生まれた王子が亡くなったあたりからヘンリー8世は愛妾をつくり、ローマ教皇が離婚を認めない為、英国国教会を設立してまで離婚。そして、次の王妃、アン·ブーリン、ジェーン·シーモア、アン·オブ·クレーフェ、キャサリン·ハワード、キャサリン·パーと続きます。
キャサリン オブ アラゴンは、1986年に450年目の記念日に、新しい棺も作られ、その人柄から生花が今でも、絶えないそうです。6人の王妃のマトリョーシカの写真を紹介します。王妃の人形は3体で、裏と表に2人描かれています。  コッツウォルズで偶然通りかかった《シュードリー城》で買いもとめた物です。
(編集子)英国皇室とわが天皇家の歴史を比べてみて、双方とも長い伝統を持ち、それなりにロマンを感じるものだが、わが皇室には(少なくとも歴史の教科書が教える限り)この映画の背景になったような不行跡の話はないし、第一、その長い歴史を通じて、天皇家を権力のカバーに使った武家の記録はあるが、時の権力者の一人として天皇家を廃しようとした例はない。英国王室の歴史にカソリックの伝統といえば聞こえはいいが、要は政治に宗教がどのように影響するかの悪例のように見える。
我が国では唯一、太平洋戦争の間に軍部が天皇の神格化という手段で国民を誘導したのが恥ずべき史実として残るが、それ以外には天皇家は(現代が結局そうなっているが)国民の象徴、という位置にとどまり続けたわけだ。このあたり、アングロサクソンとヤマト民族の倫理に関する態度の違いがよく表れているように思う。これからのわが皇室、世間にうとい皇女がたがプレイボーイカレッジのスケコマシなんかに引っかかられないようにしていただきたいものだが。