乱読報告ファイル (27)  朝井まかて と鴎外  (普通部OB 菅原勲)

ここのところ女流作家、朝井まかてに入れ込んで、「白光」(イコン画家、山下りんの伝記小説)、「類」、「福袋」(短編小説集)と続けざまに読んだ。この「類」と言うのは、森鴎外の子供たち、オットー、マリー、アンヌ、フリッツ(夭折)、ルイの末っ子、類のお話し。

鴎外の先妻の子であった於莬は、長男らしく医者になったが、この類は、何も職を持たず、相続した鴎外の印税を食いつぶした高等遊民。しかし、世の中よくしたもんで、奥さんは極めて出来た人で、自分の嫁入り道具を質に入れるなど典型的な糟糠の妻。それが亡くなったら、直ぐに後妻を娶る。この辺から、ボンクラな小生、主人公に感情移入するのが苦しくなった。結局、類は「鴎外の子供たち」(小生、読む気は全くありません)って本を書いて、兄弟のことを赤裸々に描いてしまい、それまで極めて仲が良かった杏奴からは終生、絶交状態。

どうも於莬と鴎外の後妻とは仲が良くなかったらしい。と言うより、後妻の志げが於莬を嫌っいたのが事の真相のようだ。でも、於莬は長男らしく、最後まで一家の面倒を見たようだ。

森鴎外は、林太郎が外人には発音しにくいことから、子供にオットー以下の名前を付けたそうだが、そこまで外人に阿る必要は果たしてあったのだろうか。例えば、RobertはBobだから、林太郎はRin/Linでも良かったんじゃないか。この辺はいささか納得できない。

そこで思い出してみれば、鴎外の作品は「山椒大夫」、「高瀬舟」しか読んでいない。そこで一念発起、「青年」を読み始めた。余り面白くない。と言うより、5歳も年長の鴎外が漱石の「三四郎」の向こうを張るなんて大人気ないとしか思えない。どうも鴎外は糞味噌だ。でも、巷では、日本を代表する大作家のようだ。

(金藤)森鷗外の作品、といっても私は現代国語で、近代日本文学の作家と代表作として                                 森鷗外   舞姫 高瀬舟    徳冨蘆花  不如帰 泉 鏡花  高野聖 二葉亭四迷 浮雲   などと作家の名前と作品名だけ覚えただけで、本は読んでおりません。

ただ森鷗外の子供達の名前は、授業中 参考資料に出ていて他にはどんな名前があるかしら? エミーとか?メイとか? リナ ルナは?などとお喋りしていました。 今では普通ですね。
 長男 於菟 おと オットー
 長女 茉莉 まり マリー
 次女 安奴 あんぬ
 次男 不律 ふりつ フリッツ
 三男 類  ルイ
この命名の仕方は森鷗外の孫たちにも伝わっていて、長男 於菟の子供の名前は
 長男 真章 マスク (鴎外 命名)
 次男 富  トム  (鴎外 命名)
 三男 礼於 レオ
 四男 樊須 ハンス
 五男 常治 ジョージ
森鷗外の愛娘 森茉莉の息子の名前もユニークでした。山田 𣝣 (父親と同じフランス文学者) じゃく と読むそうですがシャクとしか読めませんし𣝣の字も大(だいかんむり)です。 Jack ジャックからでしょうが、この孫の名前も森鷗外が命名したそうです。
(下村)既にご存じかもしれませんが、鴎外について最近知ったことです。
一つは夏目漱石が修善寺で血を吐き深刻な事態におちいった、いわゆる修善寺の大患のとき。それを知った陸軍軍医総監の鴎外が部下の医師を派遣し、見舞ったという話です。同時代に文豪と称される偉人が二人もおり、両者の関係はどうだったのかが気になっていたのですが、長いあいだ気になっていたことが氷解しました。
二つ目は明治期の軍隊、特に陸軍で脚気が蔓延しこれが原因で亡くなる兵士が続出したときの鴎外の対応についてですが、元気の元は白米にあり白米さえ食べていれば病気にはならないはず、脚気の原因を細菌によるものと頑なに自説に固執し、兵士の食事内容を改善しようとしなかった。このため陸軍では脚気で亡くなる兵士が続出し、献立に洋食を取り入れたり麦飯を組み入れた海軍ではほとんど脚気が発生していなかったといわれています。軍医の最高の立場にあって、部下の進言にも耳を貸さず、科学的な検証もせずにいたずらに自説にこだわり続け、解決を長引かせてしまった罪は非常に重いと言わざるを得ないと思います。
ある分野で卓越した業績を上げるとその人はすべての面で模範の人物として評価されがちですが、100%完璧な偉人はいないという証左でもありますね。