エーガ愛好会 (151) ベニスに死す

(安田)映画の冒頭、主人公が船で干潟の間を縫って南東の方角からベニスに近づくと、運河の向こうにドゥカーレ宮殿、サン・マルコ広場の鐘楼、サン・ジョルジョ・マジョーレ聖堂、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、などの姿が次第大きくなり、まさに「ベニスを見てから死ね」の気分の高揚を覚えた。映画の舞台ともなったリド島(ヴェネチア映画祭の開催地としても知られる)にはそこのユースホステルに1週間滞在したこともあり、なおさらであった。リド島はベニスでは最大の島で、アドリア海の1番外海側に位置している。

イタリア映画界の巨匠、ルキノ・ヴィスコンティが、美少年への思いを募らせたドイツ人老作曲家の苦悩を格調高く描いた文芸ドラマ。作曲家グスタフ・マーラーをモデルに描かれたトーマス・マンの原作を基に映画化。少年へ恋焦がれるあまりに破滅へと向かう作曲家の生き様と、その美少年を演じたスウェーデン出身のビョルン・アンドレセンの美ぼうも話題になった。マーラーの音楽と共に描き出される芸術的で退廃的な世界観が見どころ。

1911年、イタリアのベニス。静養に訪れたその老作曲家は、宿泊先のホテルで見掛けたポーランドから来た少年タジオ(ビョルン・アンドレセン)に一目で心を奪われる。タジオへの思いが抑えられないだったが、折しもベニスではコレラがまん延し始め、彼は遂にはコレラに罹患してベニスに死す。

(船津)確かに船であのドゥカーレ宮殿、サン・マルコ広場の鐘楼、サン・ジョルジョ・マジョーが眼に入った時は「あぁ」と思いますね。
この映画は何度観ても分からん。「やはり美少年趣味」の耽美の世界を彷徨わないと———。其の後のベニスの貴族の館が凄いなぁとお身もって愉しみました。

(菅原)マーラーの番号付き交響曲は全部で10(ただし、10番は未完成)。その殆どが1時間以上と長い。しかも、二三の例外を除き、最後まで聴くのに大変な忍耐と我慢が必要だ。その例外は、1番、4番、それに、安田さんが言及された、5番第四楽章のアダージェットだ(その1/2/3/5楽章は、まるでつまらない)。このアダージェット、小生はアダージョみたいなもんだと思っているが(アダージョとは、「緩やかに」。アダージェットは「アダージョよりやや速く」と定義されているらしい)、アダージョの傑作は、これと並んで、ベートーヴェンの第九の第三楽章だ。第九は第四楽章の合唱が有名だが、小生、この第三楽章の方が好きだ。と言うわけで、興味のある方は、マーラーの第五番を聴いてみたら如何でしょうか。あっ、ヴェネツィアで食ったカルボナーラは絶品、これはマーラー以上だった。

(保屋野)正直、私の(普通人)の「鑑賞眼」には少々ハードルが高い映画でした。この手の映画は、面白いはずはないのですが、いくつかの見応え場面はありました。第一に、何といっても、あの究極の美少年、この世の人間とは思えません。彼の存在だけでこの映画は価値があると思います。私は、彼を見て、何故か「ラファエロ」を想起しました。彼の自画像だったか、彼が描いた「天使」だったか・・・

さて、音楽ですが・・・まず、「メリー・ウイドウ・ワルツ」(レハール)が流れてましたね。(私は「金と銀」だと勘違いしましたが)次に「エリーゼのために」が弾かれてました。ただ、マーラーは良く知らないので、もう一度音楽だけを聴いてみます。最後に、やはりベニスの風景ですね。リド島へは行ったことがありませんが、サンマルコ広場で演奏を聴きながら飲んだ「エスプレッソ」最高の(美味しい)思い出です。

(飯田)何回見ても難解な映画だなーとダジャレでも言いたいところですが、多分2回目です。強いて言えば、少し見るべきところは屋内の広間やレストランシーンのバランスよい多色の色彩感覚がヴィッスコンティ映画では「山猫」でも延々と続く舞踏会シーンでも感じられたこと。意味不明ともとれるロングのパン撮りの撮影シーンが度々出て来て考えさせられるが考えても何も思いつかない愚かな自分を感じること。

同じように分かりにくいイタリア人監督の フェデリーコ・フェリーニの「8-1/2」も似たようなロングパン撮りが沢山あったが、こちらは宗教的な意味合いを感じさせたように思う。淀川長治氏の評価を添付しておきます。彼は最後に“眞に凄い大美術品映画。ヴィスコンティの大名作です”と宣まっていますが、果たしてどこまで理解しているのかと思います。