センチメンタルジャーニー:安曇野あたり  (大学クラスメート 飯田武昭)

15日(月)から2泊3日で墓参を兼ねて信州の安曇野へ行ってきました。終戦の年の昭和20年当時住んでいた渋谷の家が大空襲頃から焼失の危険が迫り、父親の故郷の安曇野に縁故疎開したまま小学校6年間を安曇野で暮らしました。

当時は毎日のように蝶々や蜂を追っかけて遊んだ近くの清流梓川も、その後の日本の高度成長期からはセメント工場の砂利採掘場所に変わり、今でも大型重機が川底を掘っているのを車窓から眺めるのは辛いです。

最寄りの想い出の「梓橋」駅は数年ごとに変化して、今回は遂にほぼ無人駅に建て替えられてしまったのも、戦後すぐにはチッキで大きな荷物を東京との間で持ち込んだり受け取ったりした記憶があるので情けない気がしました。松本駅では時々は7番線に乗りますが、今回は多く乗る6番線から乗車しました。1泊目の松本のホテルから市内をうろうろして入った炉端焼き屋さんが食材豊富で安くて美味しく当たりでした。因みに長野県は私が出かける少し前から新規感染者0人が昨日迄6日間続いていて、電車もつり革からドア横の手すりまで、松本駅で車掌さんが消毒して回ってから乗客を乗せたりと他にも良い人が多かったです。

天候に恵まれ常念岳、燕岳は逆光でしたがいつものようになだらかな雄姿を見せていました。松本市内では松本城天守閣に久しぶりに登り、中町通りでお店を冷やかしに入ったりその夜は浅間温泉に泊まりました。